川島範久様レクチャー

4月26日、日建設計 川島範久様にレクチャーをしていただきました。

以下が大まかな内容です。



・なぜ前スタジオをとったのか?

受講生の回答
小原くん :抽象的なものでなく、定量的なものを対象に考えたいと考えたから。
林くん :環境に興味があった。また、地元の北京が敷地であったことから
紺野さん :工学部なので、工学的なことをしたいと思ったから

現在よく言われているのは、
・エネルギー問題に対する回答としての「環境」
・快適性を追求する方法としての「環境」
・新たな設計手法としての「環境」:構造合理主義に続く環境合理主義
である。今の時代は複雑な問題を孕んでいる。皆で力を合わせていかなければいけない。
歴史を振り返ると、レンゾピアノ関西国際空港から環境からデザインをつくるということ話がスタートした。自身もそのスタンスで建築を作り続けてきた。



・ご自身の作品紹介

○HOUSE BB

長野県の密集住宅地における住宅。屋根から見える遠くの山の景色が設計のスタート。圧迫感のある街並の中で、門型フレームによる木造のピロティでロの字型のボリュームを中に浮かせることにより日射光風などの諸問題を解いた。
どこが環境×デザインなのか?薄いボリュームによる良い光環境。ロの字の上の塔屋による周辺の風環境の改善。壁や床の構成による熱環境の細かい計算。潜熱蓄熱材により木造に熱容量を付加し、安定した熱環境を実現する。



○SONYCITY大崎

ファサードに水を流す陶器のルーバー(バイオスキン)の設計を実験を重ねて注意深く行い、周りの空気環境を冷やすような、ビルの外装材として全く新しいものを実現した。
大きな視野としては、アスファルト舗装を進め地面の保水性がなくなった東京という都市に対し、建築に保水性をもたせることによって都市の水循環の一端を担うことを狙った。
シミュレーションにおいて風を約1-2℃下げることが予測でき、竣工後の実測においても効果は確認できた。日によって効果が出にくい日もあったが、全体的に見れば都市環境にも寄与できているのではないか



○2つの作品から

HOUSEBBの時は快適性を如何にコントロールするかが使命だった。しかし、室内だけを考えていても射程が短いSONYCITY大崎の時は建築が都市と如何に結びついていくかを考えるようになった。環境とはスケールを横断できるものだと実感するようになった。
都市的なスケールにまで、スケールを横断する手法としての環境を考えていきたい。



・3.11東日本大震災

東日本大震災が起こった時、今までの環境建築は「同じ穴のムジナ」だったのではないかと考え始めた。「サステナブル」という言葉は、建築を建て続けるための言い訳、理論武装でしかないのではないかと思い、迷いが出始めた。



・昨年夏のワークショップ参加

昨年夏にUC BerkeleyのLoisos+Ubbelohde事務所が主催するワークショップに参加した。特徴は、光と熱と空気とエネルギーを4つに分けて1日ずつ設計をつめていった。Loisos+Ubbelohde事務所は環境シミュレーションだけでなく、建築のデザインもビジネスにする集団であり、その展開に魅かれた。
なぜDana先生たちが日本においてこのワークショップをやったのか?彼らは3.11後の日本のエネルギー問題が、建築のデザインの自由度を落とすものでなく、ポジティブに捉えてより発展させていくようなきっかけにしたかったのである。
今一度、「環境」が建築・都市をいかに変えるかを考えるべきなのではないか。



・アレグザンダーのパタンランゲージ

前スタジオでは設計手法に主眼が置かれている。そこで、環境×デザインの手法を自分なりに整理してみた。
アレグザンダーのパタンランゲージは建築の世界ではあまり高く評価されてこなかった。しかし、東浩紀の「アレグザンダーのパタンランゲージは、デザインに制約を与える方法論だと理解すれば十分に機能する。」という言葉に共感した。これは、前回の中川純様のレクチャーにおける「か・かた・かたち理論」にも通ずるものである。
エネルギー問題と人の生活の関係性を如何にデザインするかが、環境×デザインの鍵だという結論に至った。



・日本の3つの都市に対する街づくりの提案

岩手県山田町

人口2万人の都市に、住民が共同で街をつくる仕組みをつくることの提案。地形模型を作って持っていってどういう問題があるのか聞きに行った。堤防によって安心が与えられていた町。他者から与えられる安心ではなく、自分たちで作り出すことはできないか?
「公」の象徴であった「堤防」を「私」のものとし、「私」の象徴であった「住宅」の一部を「公」のものとするようなパラダイムシフトを考えた。提案したのは、場所性を生かした7つの堤防とニワ。住民が自分たちの手で形作り、楽しみ利用していけるような堤防、また、庭のフェンスをなくし、所有敷地の一部を新しい避難ルートのために提供することによって、同時に町のコミュニティ・環境を改善するニワ等の提案を行った。



○東京都足立区

深刻化する少子高齢化や低いエネルギー自給率である状況下において、大都市圏の郊外を考える都市コンペを行った。東京は電車があればどこにでもいける都市であるので、街を徒歩圏内に縮小させ、徒歩圏外を森にすることを考えた。
街につくる熱のみちは街の中でもっとも暖かい、または涼しい外部空間であり、街に出たくなるような環境をつくる。エネルギーの森は地割を残し、道だった部分で太陽光発電をするパーゴラで埋め、近接する街の住宅のエネルギーをまかなえるようにした。熱のみちにはその余剰分が供給される。



福島県須賀川市

高齢化・過疎化が進む地方都市のプロトタイプとなるまちづくりを考えた。放射線量はそこまで高くなく、3.11以降の福島のイメージを払拭していける拠点のような街にもならねばならない。交通と生態系の結節点としての稲田地区は人と動物が広がっていく可能性がある。すでにある自然・人・施設が資源である。高齢者が主体となって積極的に地域を支えるまち、自然を資源として生かす「新しい生活の知恵」を世界へ発信するまち、「訪れる観光地」から「帰ってきたい第二のふるさと」としてのまちを目指した。
敷地全体に「花のみち」を配し、最小限の操作で街全体が高齢者施設のようになるように計画した。米屋のサービスや、空き家のコンバージョン、公共施設、安全な作物を作る植物工場などを花のみちでつなげていく。足立区と同じロジックで自然エネルギーを利用していく。そのようにして街全体の全てのものが花のみちによってつながっていく。



○3つの作品から

以上の都市空間のコンペでは、自然エネルギー利用の設備、例えば太陽光パネルを、いかに人々の生活に結びつけるかが大事だと考えた。多少設備的なアイデアが盛り込まれることもありであり、現在問題であるのはただただ与えられているといった関係性である。
エネルギーを生産するものに、いかに人が主体的な関わり方をできるかのデザインこそが求められているのではないか。



・質疑応答

末光様:インターンではどういうことをするのか?
川島様:環境コンサルは通常は結果を提示するだけのところが多いが、彼らは何回もシミュレーションを重ね、自分たちも設計者の一人だとして粘り強く主体的に関わっていくようなスタイルを持っている。彼らが建築のデザインを決めているようなプロジェクトもある。


受講生西倉くん:街の環境性を解くというのは共感するが、建築家は現実的には敷地の中でしかデザインできない。具体的に都市レベルにどう介入していくことができるのか。
川島様;行政もふくめたシステムの提案が必須。色々な主体が関係していくようなシステムを考えれば、少なからず介入できるはずである。エネルギー会社との連携もありうるのではないか。
受講生西倉くん:大きな会社と契約すればできるということですか?
川島様:小さなことからもスタートできる。夢を発信すると同時にプロジェクトを現実にするために積極的に動くのが重要である。


受講生紺野さん:そういった都市提案は高密度な都市でどう実現するのですか?
川島様:エネルギーの問題は難しい、中川純さんのおっしゃる「制約」をポジティブに受け入れることが大事である。これから考える。


中川様:現在自身のプロジェクトにおいて、空き家問題のマネジメントのプロジェクトを弁護士・ケアマネージャーとやっている。福島の街に老人施設を点在させる手法はかなりハードルが高そうであるが、法律家と組めば可能かもしれない。
また、全体的に街をどう永遠に回すかという視点が伝わってきた。自身もサステナブルという視点に疑問をもっていて、ミイラもある意味サステナブルだが、ああいった風になってはいけない。
川島様:空き家については、単なる営利企業では難しく、R不動産のようなイメージである。本来はそこまで説明できないと本当の解決にはならない
サステナブルが開発のための言い訳であるように感じてきた。中国のエコシティがその象徴である。夢はあふれているが、プランはない。長期的な視野なしではダメなのではないかとう疑問を持っている。



パッシブデザインというと、私自身は太陽や風の力を直接享受することを中心に考えていたため、設備を通してでも良い、問題は人々の生活にいかに結び付けるかだという視点にはすごく刺激を受けました。
特にコンペにおける都市設計のご提案は、設備が人々の生活にぐっと寄り添ったようなものになっていて、川島様の考えられていることがよくわかりました。

受講生のみなさんも、中川様のレクチャーに続いて、課題である非空調空間についてより考えをめぐらせることができたのではないかと思います。


川島様、貴重なお話をいただき有難うございました。